マスコミを賑わすことが多い「芸能人のプライベートなネタ」は、テレビや雑誌でも大人気。
しかし最近では、芸能人のプライバシーや人権を侵害するようなネタも多く、SNSやネット上では証拠のない憶測で書いた記事も数多く見られます。
芸能人にプライバシーはないのか?芸能人であれば、個人のプライバシーを侵害しても良いのか?
このような議論も、最近になってやっと議論されるようになってきました。
今回は、そんな芸能人のプライベートに関するプライバシー保護について考えてみたいと思います。
芸能人のプライベートは「国民の知る権利」に当てはまるのか?
「国民は知る権利が保障されており、マスコミには報道の自由がある」
このような風潮のもと、これまでのマスコミや世間は芸能人のプライベートな写真やネタを堂々と週刊誌やワイドショーで取り扱ってきました。
しかし、この報道は人の権利を守る法律を侵害しているのではないか?といった考えは過去にもありました。芸能人以外の有名人や外国の貴族階級でも、パパラッチと呼ばれる執拗な取材で実際に凄惨な事件や事故も起きています。
このような報道がこれから続くようであれば、更なる悲劇を招きかねないと考える識者が増えています。
報道の問題点
最近、当たり前のように報道されている芸能人の不倫問題や不祥事ネタですが、その報道の仕方は年々巧妙になっており、ハニートラップではないかと疑われるような内容も散見されます。かつての芸能界は、そもそもが異質な世界として扱われていたので、ニュースやゴシップ報道に関しても寛容な目で見る風潮がありました。しかし最近では、芸能人があたかも有識者であるかのような扱いを受けることもあり、芸能人やその関係者が人格者として扱われつつあります。
いま、世に出されるワイドショーのネタはゴシップネタが多く、メディアの多くは視聴率や購読者の獲得に躍起になっています。それが、報道のあるべき姿をないがしろにする原因となっているのではないでしょうか。
報道のあるべき姿と報道リスクの軽さ
本来の報道は、事実を正確に国民や知りたい人に伝えることにあります。しかし、その内容に関しては「公共の秩序を乱す事実」や「公共の利害に関する事実」でなければなりません。現在の芸能界の報道には、そのような報道のルールを破っている記事が多すぎるのです。
報道リスクと芸能人のリスク
では、マスコミはなぜそこまでして報道するのでしょうか。そこには報道リスクと、芸能人のリスクに大きな差があるからなのです。行き過ぎた報道の内容によっては芸能人が裁判を起こし、賠償を求めることもあります。しかし、その額は数十万円から多くても数百万円程度で、芸能人が被った被害には到底及びません。その反対に、マスコミがその報道で得られる利益は莫大なもので、そのバランスが全く取れていないのが現実です。
これまでは芸能人が不祥事を起こした場合には、所属する芸能事務所がマスコミに圧力をかけるということもありました。しかし、今ではそんな歯止めが効かなくなっています。それは、この双方のリスクの違いが原因であり、更なる報道の暴走にも繋がっているのです。
これからの報道と国民に必要なモラル
ここまで、ゴシップ報道による芸能人のリスクや報道のあり方について検証してきました。
今では、毎日のように芸能界のゴシップ記事が報道されています。そのような中で、プライバシーを著しく侵害された芸能人の犠牲者が後を絶ちません。
芸能人が報道に対していくら反論しても、なかなかそれがニュースにのることはありません。また、裁判を起こした芸能人は扱いにくい芸能人としてのレッテルを貼られてしまう可能性もあるので、泣き寝入りするしかないということもあります。
本来、報道とは「正義」のためにあるものです。しかし最近のゴシップ報道は逆であり、「人を傷つけるだけの報道」になり下がっているのではないでしょうか。
報道が「悪」であれば、それを目にする国民の目も知らず知らずに悪意に満ちた見方に変わってしまいます。
報道には、社会を変える力があります。このような間違った報道のあり方には、いま法的な力も必要になっているのではないでしょうか。
報道する側と、それを視聴する側、その両方に「モラル」が求められている。いまの報道に関して、そんな気がしてなりません。
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