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世界の違和感|2026/9/22|羽田野 剛士

約束した人は忘れ、信じた人だけが予定を変える――「ぜひ」のあとで失われるもの

軽い『ぜひ』のあとで、信じた側は時間や機会を先払いしています。海外の採用ゴースティング、Qantasの事例、心理的契約の研究から、約束と信頼の非対称性を考えます。

最終更新:2026/9/22

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「ぜひ一度、お話を聞かせてください」

その一言がうれしくて、夜まで提案書を直す。相手の会社を調べ、何を話せば役に立てるかを考え、別の予定を動かす。

ところが、日程を決める段階になると返事がない。

催促するほどのことだろうか。忙しいのだろう。もう少し待とう。こちらの提案が悪かったのかもしれない。返事の来ない画面を前に、約束された側だけが理由を探し続けます。

断られることが、つらいのではありません。最初から断る自由は、誰にでもあります。

つらいのは、信じて動いた時間まで、なかったことにされることです。

ここに、今日の違和感があります。

言葉は無料でも、受け取った側は先に支払っている

合意した契約が、ひと月後に「やはり高い」と覆る。何を任せるのか決めずに採用し、あとから「期待したほどではない」と評価する。「当日は手伝います」と言った人が、連絡も遅いまま来なくなる。

事情は変わります。体調を崩すことも、予算が動くことも、判断を改めることもあります。約束は何があっても守れ、と言いたいのではありません。

ただ、約束を変える側と、約束を信じた側では、すでに支払ったものが違います。

信じた側は、時間を空けています。準備をしています。ほかの仕事を断っているかもしれません。人に頭を下げ、家族に予定を伝え、少しの勇気を使って一歩を踏み出しています。

約束した本人は、自分の言葉を忘れられる。けれど、受け取った人の予定表には、その言葉がもう書き込まれているのです。

海外の採用市場でも、沈黙が応募者に請求書を回す

採用プラットフォームを運営するGreenhouseが2024年に公表した調査では、求職者の61%が、面接後に企業から説明なく連絡を絶たれた経験があると答えました。同年4月から9ポイント増え、歴史的に過小評価されてきた層では66%に上ったと報告されています。

企業にとっては、選考を止めた一人への返信かもしれません。しかし応募者は、その面接のために企業を調べ、服を選び、休暇を取り、何度も答えを練習しています。結果を待つ間、ほかの応募や転居、生活設計の判断を保留する人もいます。

「採用しない」と伝える数行を省くことで、企業は小さな手間を減らせます。その代わり、不確実性を処理する時間も、希望を畳む仕事も、すべて応募者へ移ります。

沈黙は中立ではありません。返事をしない側の負担を軽くし、待つ側に請求書を回す行為になり得ます。

豪州Qantasの「ghost flights」は、期待が商品になった事例だった

約束の非対称性は、個人間だけの問題ではありません。

オーストラリア競争・消費者委員会(ACCC)は、Qantasがすでに欠航を決めた便の航空券を販売し、既存の購入者にも欠航決定を速やかに知らせなかったとして提訴しました。連邦裁判所は2024年10月、同社に1億豪ドルの制裁金を命じました。

Qantasは別途、対象となる8万6千人超の顧客に約2千万豪ドルを支払うことにも合意しました。

航空券を買う人が買っているのは、座席番号だけではありません。その便が飛ぶという見通しをもとに、ホテルを予約し、会う約束をし、休暇を取り、人生の一部を組み立てます。

だからACCCの事例が示した問題は、欠航そのものだけではありません。企業がすでに持っていた重要な情報を伝えない間、顧客だけが古い約束を信じて行動を続けたことです。

約束する側が情報を握り、信じる側が先にコストを払う。この構造は、返信の来ない商談にも、結果の来ない面接にも、飛ばない航空券にも共通しています。

人は契約書にない約束にも傷つく

組織行動論には「心理的契約」という考え方があります。雇用契約書の条文ではなく、「きちんと働けば正当に扱われる」「この役割を任せると言われた」「成長を支えると言われた」といった、双方の関係について抱く認識です。

研究者のElizabeth MorrisonとSandra Robinsonは1997年の論文で、組織が相互の義務を果たさなかったと従業員が認識するとき、単なる期待外れを超えて、怒りや裏切られた感覚を伴う「心理的契約の侵害」が生じる過程を論じました。

これは、言われたことを何でも約束だと受け取る人が弱い、という話ではありません。人は言葉から関係の輪郭を読み、次の行動を決めるからこそ、協力できます。すべてを疑い、すべてを書面にしなければ一歩も動けない社会では、仕事も地域も人間関係も、ひどく冷たいものになります。

信じる力は、未熟さではありません。社会を動かすために、誰かが差し出している信用です。

その信用を無料だと思うところから、約束の乱暴さが始まります。

問題は「守れなかったこと」より、相手の選択肢を奪うこと

約束が守れないことはあります。そのとき信頼を壊すのは、変更そのものよりも、知らせないこと、説明しないこと、相手が次へ進む時間を残さないことではないでしょうか。

早く断ってもらえれば、別の人に頼めます。条件が変わった理由が分かれば、話し合えます。採用しないと分かれば、次の会社へ気持ちを向けられます。

連絡が遅れるほど、相手の選択肢は少なくなります。つまり連絡とは、礼儀だけではありません。相手に人生のハンドルを返す行為です。

OECDは行政への信頼を測る際、信頼を支える要素として、信頼性、応答性、誠実性、開放性、公平性を挙げています。対象は公的機関ですが、「言ったことを実行する」「変化に応答する」「情報を隠さない」という要素は、私たちの日常の信頼にも重なります。

期待を捨てるのではなく、期待に段階をつくる

傷つかない最も簡単な方法は、誰にも期待しないことかもしれません。

でも私は、そこへ行きたくありません。人の「ぜひ」を喜びたいし、誰かの「手伝います」を信じたい。信じるたびに損をするからと、最初から心の扉を閉めるのは、約束を軽く扱う人のために、約束を守る人まで遠ざけることになるからです。

必要なのは、期待をゼロにすることではなく、期待に段階をつくることだと思います。

これは、人を疑う技術ではありません。自分の時間と、約束を守る人の信用を守る技術です。

それでも、私は人を信じたい

私自身、期待しすぎて、勝手に傷ついたことがあります。相手はそこまで約束したつもりではなかったのに、自分の中で話を大きくしてしまったこともあります。

だから、受け取る側にも確認は必要です。「これは決定ですか」「いつまでに分かりますか」と聞く。その一言で防げるすれ違いはあります。

同時に、立場の強い側が「勘違いした相手が悪い」で終わらせてはいけないとも思います。期待を持たせる言葉には、人を動かす力があります。人を動かしたなら、その後を伝える責任も生まれます。

大きな理念より、返信をすること。格好のよい約束より、難しくなったときに早く伝えること。信頼は、成功したときの拍手ではなく、都合が悪くなったときの態度に現れます。

私も、できない約束をしていないだろうか。返事を先送りし、誰かを待たせていないだろうか。「そのうち連絡する」と言ったまま、相手の予定表に自分だけが残っていないだろうか。

あなたが今日、軽く口にした「ぜひ」の先で、誰かがもう予定表を書き換えてはいないでしょうか。

出典・一次情報・参考文献